自分が勉強になる、俺自身が話を聞いてみたいと思っている人を、熊野の地に連れてきたい。俺と一緒に長期間にわたって物を考えてくれる仲間が五十人いれば、熊野大学というものができる。
すぐに村おこしに役立つと考えたり、金になると思ったりするのはダメで、長期間にわたってじっくり物事を考えていく人の集まりにしたい。「この組織を利用しても何にもならん」という人の集まりが、かえってよい。そうすることで熊野の文化が見えてくると思う。
「熊野学」というものがあるんだ。角川源義(国文学者)も熊野に関する事を語っているが、物語は熊野なしには考えられないのだ。熊野の奥底にあるものを探りたい。「熊野」は二十世紀最後の思想潮流になると思っている。
熊野には世界を救う思想がある。人が人として十分に生きるルネッサンスが、熊野にある。抑圧や差別がなく、内側から輝いているものが熊野にある。そういう力が熊野にはあるんだ。
弱い人間が内側から力を出す、それが熊野だ。じわっと感じてはいるが、俺の文学の目的として、それを探りたいと思っている。一番大切な場所として、この地をとらえている。
アパルトヘイトされている南アフリカから人を呼んで語り合える、そういう土地が熊野だ。人間にとって一番核になることは、「生きるとは何か、死ぬとは何か」を考えることで、それが熊野の役目だと思う。
排除をせず、共に、もっと高い所から見つめようと、そう呼びかけ、導けるセミナーをやったらどうか。
「弱いものこそ輝け!」「みんなこそ美しい」と唱えたい。
御灯祭りの二月か、夏かに具体的なアクションを起こしたい。
【解説】第三文明社『中上健次発言集成5談話/インタビュー』に収録。初出は紀南新聞1988年11月18日。最後の一行を削除したものが、熊野大学機関誌「熊野回廊」創刊号(1990年7月)に収録されている。