藤森 今やっておられる熊野大学についてですが、ああいう形で始められたのはいつごろからですか。
中上 平成になってからです。昭和天皇が崩御した月からやり始めたんです。
藤森 天皇崩御と関係あると考えていいんですか。
中上 いや、大きく言えは、時代というのが大きく変わりましたね、我々、天皇制のもとに生きているんですから。だから僕は、天皇ということに関してすごく関心をはらわざるをえない。それとは具体的にはかかわってないんだけど、熊野で、熊野の人間と一緒に、熊野の思想を見つけたい、それを長い期間にわたってやろうという考えを持つようになったこともあるんです。それは大きく言えば、日本の文化とかかわりありますから、当然天皇とかかわる。
藤森 どういうテーマでやってられるんですか。
中上 日本論をやっているんです。山本健吉さんの『いのちとかたち』という本を一章ずつ読んでいく。一章ずつ僕は自由に読み、あるときは批判し、あるときは拡大解釈し、あるときは山本さんはこういうことを言いたかったんだと解説する。「日本の美の源流を訪ねて」というサブタイトルがあるんですが、だから言ってみれば日本論です。この日本は日本というけど、むしろアジアと置き換えたほうがいい。アジアではこういうことがある、韓国にはこういうことがある。インドネシアにはこういうことがある。いつもそうやってアジアの目というのを入れて、『いのちとかたち』を読み解いているんです。だから、別な形の山本健吉論でもある。
もちろん熊野大学というのはそれだけじゃなくて、俳句の人が来てくれて、句会をやったり、俳句の講義をやったり、そういうこともやってるんです。
熊野という場所で何が考えられるかというのがテーマです。僕は熊野というのは存在しないと思うんです。つまり熊野が存在するのは、物語があって熊野が存在する。あるいは中上が熊野と言い始めて、熊野が存在する。熊野地方という地方はあるけど、熊野というものは言葉がない限り存在しない。だから、言葉を見つけよう。その言葉というのは、おそらく、アイルランドにも共通のものだろうし、アメリカにも共通のものだし、韓国も共通のものだろうと僕は思うんです。その共通のものというのほ、おそらく人間のほんとうのやさしさだとか、人間には価値がある、そういう考えなんです。我々は自由に物を考えられます。犬と違うのはそこですね。あるいは人に対する想像力を働かすことができる。人を愛することもできる。もちろん憎むこともできるんだけど。それから、気位高く生きられる。そういう、人間のルネッサンスで見落としたようなものが熊野にいっばいあると思うんです。例えば、ゆがんでいる美というのがあるだろうと思う。説経節なんかが教えてくれるところですね。そういうものを見つけたいんですよ、根本的なやさしさみたいなね。だから、泉鏡花が高野聖のところへ出かけていった、あれは言ってみればユートピアみたいなものじゃない、ああいうものね。単にきれいな、雑菌がなにもないような、そういうところではなくて、雑薗だらけで、一切合財共存しているようなところ、そういうものが熊野だろうと思うんです。熊野が打ち出せるやさしさとか狂暴さとか、そういうものだろうと思うんです。
編集部 『讃歌』なんかにもかなり共通するものがありますね。
中上 まさに、そうです。
藤森 月に何回ですか。
中上 月に一回で、一日。毎月行くんです。だから、僕の熊野詣でですよ。行って二十四時間滞在して、すぐ帰ってくる。ただ、作家というのはひどいね。おふくろのところに行くでしょう。そうすると、いろいろ見て、作家の目が動くんですね。これが嫌なんだ。(以下、略)
【解説】第三文明社『中上健次発言集成5談話/インタビュー』に収録。初出は「すばる」1990年9月号。インタビュアーは藤森益弘氏。熊野大学について語られた部分を抜粋した。