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〈対談〉東アジアの新しい世界観
熊野大学という運動

中上 ここまで聞いてみて、僕は金芝河さんと、よく似た考えを持っているなと思うんですよ。僕の今進めていることを一つ言いますと、熊野でそれを始めているんです。僕にとって熊野というのは、芝河さんにとっての韓国みたいな意味があるんですよね。熊野は、日本の紀伊半島の中にあるんだけど、どこが熊野かわかんないんです。そういう所なんですよ。昔から歴史に登場するんだけど、はっきり熊野はわからない。どこからどこまでが熊野か、わからないんですよ。
 昔から、たとえば、戦で負けた連中は全部、熊野に逃げてくるんですよね。政権争いをして皇太子が負けたとかすると、熊野に逃げてくる。それから病気の者が熊野詣で熊野へ行って、熊野へ行くと体がもとへ戻る。あるいはそこで死ねる、と言われていた。もう一遍蘇ることができるという、そういう思想があると思うんですよ。物語でもいっぱい熊野が出てくるんですけど、熊野はどこからどこまでかわからない。
 僕は熊野の被差別部落で生まれたんです。熊野のいちばん熊野たる所で生まれた。熊野って場所は、僕にとっては海の底に筒抜けになっているような、底から地上から天まで筒抜けになっているような、そういう場所みたいに映るんですよ。
 それで、僕は毎月通って行ってるんです。毎月一遍、そこで講演会しているんですよ。こういう座敷で坐り込みましてね。だいたい五十人ぐらいなんだけど、もともとは被差別部落の若い連中と始めたんだけど、それがだんだん人が集まりまして、熊野大学というのをつくったんですよ。建物も何もないの。ただ行って、思想を掴む。きっちり築き上げる。どういう思想かというと、熊野は、つまり徹底的にやさしい。そのやさしさの根本を突き詰める、ということなのですね。
 僕自身は被差別部落出身だから、上も下もない。まったくみな平等なんだというところにいます。そのやさしいということは、愛という問題になりますね。本当に人が人と愛し合うという、その愛がいちはん価値があるんだという考え、それを僕は熊野で捕まえようと思っているのです。だから具体的にすでに熊野大学といぅ組織をつくって、そこでコツコツ、講演会だとか学習会だとかセミナーだとかイベントだとか、というものをやっているんですよ。
 あなたの話を聞いてて、よく似た衝動に突き動かされて、よく似たことを考えているなと思うんです。母風堂というのも本当に、最初冗談で聞き始めて、今、僕らの競い合っている一つの彼方をはっきり発見さすための大きな、彼方の高みですよね。彼方を発見させるための大きな回帰、つまり導いてくれる思考方法になるんじやないかなと思うんですけどね。
金 私が全羅道の海南(ヘナム)に行ったいろいろな動機の中の一つとして、自分の故郷で共同体運動をしよう、という考えを持っていました。そこから運動を始めて、徐々にソウルに向かって進撃しようとしたんですけど、病気にかかり、また問題がたくさん起きて、また一つの考えとして、共同体運動も重要だが、共同体運動も含めて、全社会的運動が必要だ。とくに文化運動が必要だと考えて、ソウルにまた帰ってくることになってしまった。
 中上さんの話を聞いて、単に小説家としてでなく、自分の故郷でそうした運動をしているというのは大変感動的で、それは決して小さいことではない、と私は思います。(以下、略)

【解説】第三文明社『中上健次発言集成4対談IV』に収録。初出は「中央公論」1990年8月号〜9月号。対談相手は金芝河氏。熊野大学について語られた部分を抜粋した。


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