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ただ一点、熊野

 今年の正月から故郷の熊野新宮に、一月に一度戻る事になった。「熊野大学」というものを創ったからである。大学と言っても、建物がない。生徒もなければ先生もない。もちろん入学試験も卒業試験もレポートもない。何もないところで、考えるのである。熊野とは何か? 熊野の思想とは何か?
 だいたい月初めに、私は私なりの熊野詣の客となるのだ。それで、このところめっきり忙しい。一日が四十八時間あればよいのに、と思う。
 この四月は殺人的だった。二年間「朝日ジャーナル」誌上に連載した長篇小説「奇蹟」の上梓をぎりぎりに控え、一日の早朝羽田から飛行機で白浜に飛び、白浜から列車で新宮に入る。四月一日は「熊野大学」四回目の開催日である。
「準備講座俳句」と銘うち、講師に結社「運河」の俳人茨木和生氏をむかえ、昼に速玉大社に集合して吟行を始めているので、東京からどんなに息せき切ってかけつけても私は遅刻である。二時から句会を始める。投句をしないが、選はする。終了が四時。
 七時から速玉大社の別棟で講座が始まる。茨木和生氏が俳句と熊野について熱っぽく語り、続けて正月から、一章ずつ読みはじめている「山本健吉『いのちとかたち』をよむ」の四回目の解読を私がやる。全二十四回の四回目である。聴講は五十人ほどの老若男女。博学の山本健吉氏の論を読み解こうというのだから四苦八苦である。
 終了してほっとして、「隈ノ會」と名のる同級生らと、熊野の復活をどう果たそうか議論しながら酒。本屋の若旦那を会長とする面々、皆、弁慶の末裔さながらである。伊勢、何ほどのものぞ。「熊野大学」で人権問題をやろうではないか。アパルトヘイトをはっきり否定出来るのは熊野だけではないか? 教育はどうか? 人を教えるとは何か? 学ぷとは何か? 学校は必要か? 子供たちは学校にアパルトヘイトされているのではないか? 夜はすぐ更け、朝になる。  実家にも戻らず、市内のビジネスホテルでひと眠りして、隈ノ會の面々と田辺へ車で走る。リゾートとか、マリーナ・シティとかの内容空疎な乱開発に今、悲鳴を上げている紀伊半島の山河につき動かされて、田辺で横の連帯をつくる為の会に出席するのである。会の名称は「紀伊半島を愛する会」。
 かようなように、目をまわす暇もなく動きつづけているが、作家として考えれば、一点にしか集中していない。一点とは、つまり熊野である。私の文学。現在、「蘭の崇高」という書き下ろし中篇を書いている。これもまた熊野である。

【解説】恒文社21『中上健次エッセイ撰集[青春・ボーダー篇]』に収録(誤字脱字を改めました)。初出は「新刊ニュース」(1989年6月号)に掲載。中上健次氏は、熊野大学と「紀伊半島を愛する会」や南方熊楠を再発見しようとする人々と連携を取り、熊野の再興を考える人達のネットワーク化を構想していました。


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管理人:ラストバルーン
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