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「熊野大学」開講式の挨拶

 ちょつと、こういった、儀式みたいなものは堅苦しくなってしまうので、あの、それ自体が熊野大学の精神に反します。熊野大学は、それこそ、人間が解放されるっていうことが非常にこう、大目標にもなっているので、どうか、その、リラックスなさってください。 なんて言いますかゆっくり時間をかけて本当の物事を見つめ、物、人、天を、一切合切を敬う、そういった考えを打ち出して行こうそういう本当のことに、もう一辺戻ってみようじゃないか、というのが熊野大学の目指すところなんです。それが、この熊野の土地でこそ、この土地でこそ、できるんだという認識に基づきます。それは大阪ではない、東京ではない、あるいは北海道でもない。この熊野でやることなんだ。ということはですね、この熊野は、やっぱり、非常に特殊な場所です。日本の歴史を、こう、振り返ってみますと、熊野は日本の歴史の神話の時代から登場します。
 みなさん、その、例えばその、ひとつのもの、えー、お燈祭、あるいはその、この速玉大社にしてもいいです。その、この、この場所、あの祭がですね、やはり熊野に、あの、日本が、こう、開ける時から、歴史に、神話にのっている訳です。だから、ここはその、非常に特別な場所なんだ、この特別な場所で今、請われているもの、なくしてしまったもの、それをもう一辺取り戻そうじゃないか、取り戻すための方策を考えようじゃないか、それも、その、誰が、こう、上、誰が下、誰が先生、誰が生徒、というんじゃなくて、みんなこういう具合にですね、こんな風に、同じ地平に立ってですね、同じ地平に立って、座り込んで、話し合ってぶつけて行こうじゃないか、もっと時間がかかるかもしれませんその、かける時間が、やっぱり、大事なことだ、そのかける時間が、人間の、唯一、持てる時間なんじゃないか、そういう考えが熊野大学なんです。
 それで、僕はそめ、おそらくその、ここでこういう声を上げてる人間を、もう 一辺見直してみよう、あるいはその、物をもう一辺見直してみよう、なんか食べる米とか野菜だとか、そういうものを見直してみようという考えはですね、おそらくこの、ここだけじゃなくて、もっと方々で、やっぱり考えていることだと思うんです。おそらく韓国でもそうだし、インドネシアでもそうだろうし、あるいはフランスでもそうだろうしアメリカでもそうだろう。あるいはアフリカでもそうだと思うんですよ。で、これは我々がきちっと、こういう自由で、平等で、しかも愛情をもって、これ、敵対するんじゃなくて、人と対立してそして、対立、打ち勝って行くんじゃなくて、人と、愛情をもって、話しを聞いて、融和していくっていう、そういう精神でやると、みんなこう、つまり、同じ力持ってるっていうことに気付くんだと思うんです。
 だから、おそらく、この考えは、その、もっと政治で言うと、冷戦だとか、その、こう、今まで米ソが対立してた、いやその、そうじゃなくて、もっとこう、人間どうし同じなんだから話し合えるんじゃないかという、そういう大きな潮流ということにも、潮流をもう一歩、もう一ミリだけ動かす考え方かもしれません。昔はそのことが、取り敢えず我々が、この地球を愛し、天を敬い、自然をこう、敬い愛し、人を、人として一緒に生きて行けるという、そういう、今、今、我々が、こう、必要としている考え方だし行動だと思うんです。
 熊野大学に、是非集まってください。熊野大学の中で、熊野大学の外で、同じ地平で一緒に歩いて欲しいんです。これで、僕、ちょっと書いたんですけど、綱領みたいな、綱領でないんですけど、書いたので、お手元に配られていると思うんです。読みます。

(「真の人間主義」朗読)

 ありがとうございました。

【解説】熊野大学機関誌「熊野回廊」創刊号(1990年7月)に収録。1990年6月3日新宮市速玉大社双鶴殿で開かれた熊野大学開講式での挨拶。ゲストは野坂昭如氏だった。


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