今回も本文を離れたいと思うんです。僕の方の反省もありまして、熊野大学の人々の申し出もありまして、もっと面白くしてくれっていう、そういうことでこの本にそいながら幾つかジャンピングしながら、山本さんの本を読むことを進めたいと思うんです。だから今日は、この本『いのちとかたち』をもう少し深く読むためにヒントになることを話してみたいんです。
というのは、今日八月五日は、本当なら八月四日昨日の朝の四時から今日の八月五日の四時迄、二十四時間のイヴェントを熊野本宮大社の跡地で行う予定だったんです。ところが、色んな都合で中止になりました。中止になる経過を言いますと、これ最終総括になると思うんですが、金銭的に結局都合つかなかったということなんです、一番大きな問題は。それと同時に、熊野大学主催としてのイヴェント総合プロデューサーとしての僕が中心人物と目していた都はるみさんが、手術入院療養という事態になってしまった。他のアーティスト、ミュージッシャン、現場の方々、協力してくれる態勢はあったんですけども、どうしても僕、都はるみという人の芸能にこだわっていまして、どうしても彼女を熊野の跡地で唄わせてみたかった。
それは、こういうことなんです。一年前に隈ノ曾が主催したんですけど、“クマノカフェ”というタイトルで、熊野本宮大社で都はるみさんを連れてきて、そこで話と、生ギター一本、それもプロですけど、流しの生のギター一本で歌を唄ってもらったんです。恐らくその過程で都はるみさんは歌手復帰っていうきっかけになったと思うんですけどもね。それでこのイヴエントを熊野でやろうと話している段階で、彼女は直接には言いませんけども、彼女の心の中に熊野の神社、あるいは熊野の神さまに報告したいと、自分の歌を奉じたいと、そういう考えが強くあったはずです。それで僕も彼女たちと演出を考えましてね。今まではあそこの神社をいつも背中に背負ったり、神社のもとの社の跡があるでしょう、あそこを平気で歩いたり、そういうことをやってたんですけど、今回は違うと。都はるみさんは奉納したいということだから、都はるみが、神社の石の祭壇があると、それの真前で歌を唄って、石の祭壇とこっちの舞台をつくった所と、その空間に誰も入らないで真上でみてもらおうという、そういう舞台構想考えていたんですよね。それがたまたま緊急事態になってしまった。
もう一つ、それから色んなこと起こっているんですよ。非常に不思議なこと起っているんですよ。例えば、そのイヴエントの主要な一人であった本宮町の観光課の地元の中村課長さんですが、突然病気になりまして、入院してしまった。それからさらに、僕も知ってびっくりしたんですけど、青森の前回もねぶた製作してもらったんですけど、今回も製作してもらうつもりだった鈴木秀次さん、秀って僕ら言ってるんですけど、ねぶたの絵師、製作者ですね、彼の家が突然火事になったんです。全焼してしまいまして、ちょうど秀さんはいま、バルワッという、トソガのそばに旅行していまして、連絡とりましたら、あちらでも地震が起こって音信不通になってる。彼は今日ぐらい戻ってきてるんですけどもね。恐らく大ショックを受けるだろうという事態なんです。
この熊野で神社の中で、芸能あるいは芸術の祭りをやろうとした。それが結局中止になって、次々明らかになってることをみますと、何か妙に、神さまが何か言ってくれてることじゃないかと思うんです。そういうふうに霊的なものとして把えた方がいいんじゃないかということなんです。
ということは、我々人間には五感があるといいますけどもね、さまざまな諸器官があるし、さまざまな感覚機能があると。ところがもうひとつ、第六感というか、そういうものが、われわれの力で作用して、この事態、もっと悪化する事態、もっと絶望的な事態になるのをくい止めえたんじゃないかと、そう思ってるんです。
そのこと、今日話がそういう霊的なもの、あるいは第六感みたいなもの、例えば熊野へ来ると人々はここでこう元気になる.蘇るという、そういうもの、あるいは熊野に他の聖地とは違う、他の神社とか仏閣とか遺跡とかがもってるものと何か違うものがあると、皆さんがおっしやるようなこと、そういうスピリチュアルなもの、そういうことを言いたいんです。
スピリチェアルなもの、霊的なものというのは、まずこう考えるんです、何によってできてるのかなと。これは恐らく光だとか風だとか空気だとか水だとか、存在する自然的な条件を挙げるのが普通ですけども。その条件が普通なんだけども、恐らくここは徽底して存在しない場所じゃないのか、と思ぅんですよ。それ故に、他所の聖地、他所の場所、他所のトポスとまるで違う姿をしてるんではないか、と思うんです。もちろん熊野地方、地方と考えますと存在しますよ。人々はここに住んでるし、地方自治体も存在するし。だけど熊野の熊野として考えていると、これは存在しない場所だと思うんですよ。あるいは存在するとしたら、ここが底抜けになってる場所、それこそどこへでもつき抜けてしまう場所ですね。(以下略)
【解説】太田出版『中上健次と熊野』に収録。熊野大学機関誌「熊野回廊」第三号(1990年9月)が初出。90年8月5双鶴殿での熊野大学準備講座中、この日に行われるはずだった熊野大学主催のイベントに触れた部分だけを抜き出しました。(『中上健次と熊野』に高田グリーンランドにてとあるのは間違いです。)中上氏としては、精神的にも金銭的にもこのイベント中止はかなりの「痛手」だったに違いありません。しかし、それを乗り越えて翌年の「都はるみ IN 熊野神社」を成功させました。