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文芸時評第22回

 日本の中で文学をやっていると露ほども疑わない事だが、外の世界に出むくと、文学、いや紙に印刷された小説が日本ではやたら大事にされ、いばりくさっていると気づく。印刷=複製の虎の威を、小説が詩が借りているという事になろう。小説の発生、詩の原初を考えれば、私たちは無残な時代を生きているわけである。この国における印刷=複製の小説の暴威は、おそらく中国、韓国渡来の儒教の影響であろう。文人、つまり小説家や詩人は肉体をかくす事を美徳としたのである。声を喪失する事を競ったのである。これは東アジア一帯の小説家や詩人の宿痾であろう。詩人がくり返し朗読を試みる事、小説家がパフォーマンスに加わる事は、言語の現在を考えればごく自然な健康な欲求である。
 八月十二日熊野本宮でのパフォーマンスは、小説家である私には一冊の長篇小説を上梓する事と同じ事なのである。従って事前に何のインフォメーションもない観客(読者)が、限定されている、という点を考えれば、限定出版の形だと言われようが、印刷=複製を喰い破るという意図を計れば、熊野本宮の聖地の闇に書いた新形式の長篇小説と考えてもらって一向にかまわない。とりあえず事態についてのべる。
 場所は熊野本宮の大斎原である。ここはかつて中世に爆発的な熊野詣ブームの中心であった本宮大社のあった場所である。ちょうど百年前に大雨で崖くずれが起こり、川をせきとめ、大洪水となり、本宮大社が流され、大社が小高い山の上に移った跡地である。八月十二日、まさに百年前のこの日である。大洪水になった崖は、被差別者らの住む崖であった。
 大斎原をパフォーマンスの場所に定めたのは、劇場としての効果を求めての事だし、八月十二日のその日は偶然の結果だった。しかしあいさつに出向いた本宮大社で、宮司からその場所のその日の意味をうかがって驚きにうたれた。神威が小説家をつき動かしている、とおっしゃる宮司の言葉に、私もうなずくしかなかった。
 当日、二千人の人々が集った。東京からバスを仕立てて来た人もいたが、九割までは本宮の老若男女である。薄暮が始まるか始まらないかの時間を待って、歌、声の話が始まった。都はるみ、中村一好、それに私の三人が、美空ひばりの歌は何であったか、本当の歌は何であるのか、問うのである。都はるみは大胆に「兄弟船」「恋は神代の昔から」「アラ見てたのね」三曲を歌った。私には美空ひばりの死にうかれ、歌の死滅に喜々とする平成元年の日本に対する熊野からの痛烈な批判の矢と見えた。言わせてもらえば、日本人である限り、熊野の聖地で歌をうたった都はるみに、一人一人が答えるべきである。尊い御方であろうと街中の乞食であろうと例外はない。文学上の文脈で言えぽ、都はるみはバフォーマンスの意味を問うたのである。
 その問は、続いて始まった石橋幸のパフォーマンスではより鮮明になる。石橋幸は金具をたたきながら、マイクも使わず、歌いながら聖地を廻る。ピアニストの秦宜子は、聖域に張りめぐらしたピアノ線をたたきこすりヴァイブレイションをたてた。問うているのは声であり音である。
 聖地で響いた声と音の筋はこうである。神隠しにあってロシアの地に行ったが、帰路がわからず熊野の聖地に迷い込んだ。ロシアの歌をロシア語で歌い、あまりに深くロシアの人と土地に共振れする。ヤタガラスが顕れ、ついに熊野の神が心を動かし、熊野水軍の軍船をつかわし、帰路を誤たぬように送りとどける。
 ヤタガラスも熊野水軍も、本職の鈴木秀二がつくったバス一台ほどのねぶただった。ねぶたにろうそくの火が入り、火の船、光の船となって空に舞い、空中を飛んで、歌い倒れた石橋幸のそばに降り、救いあげる。二千人の観客(読者)がどよめくのは当然である。というのも、熊野の聖地で、作・演出の私が、言語の意味をまっすぐに問うているのである。

【解説】集英社『中上健次全集第15巻』に収録。雑誌「ダカーポ」に連載された文芸時評の第22回(89年9月 日号)。語られているのは、同年8月に催された「KUMANO Cafe」の様子。


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